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"SOTOKOTO" November 2000 Issue
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ふー、ケニヤのマサイマラから戻ってきても、まだ余韻が続いていて、なかなかアフリカ熱からさめそうにない。ニューヨークの街を、アフリカの匂いをさがして求めて、あっちこっちほっつき歩く毎日だ。
ニューヨークから20時間近くかかってやっとナイロビに着く。初めて飛ぶアフリカの大地をよく見ようと、飛行機の窓から乗り出すようにして見る。えんえんと続くエジプトの砂漠地帯がやっと切れたら、エチオピアに入る。ここはトルコから紅海を通ってモザンビークまで達する、東アフリカの大地溝帯の一部だ。ケニヤのトゥルカナ湖や目指すマサイマラ、それに続くタンザニアのセンレンゲティやタンガニカ湖もその中に入る。未だに活発に活動している地帯で、ああぼくに地質学や地球科学の知識があったらなぁ、と悔やまれる。ここはまた人類学や考古学の宝庫でもある。有名なリチャード・リーキーが長年調査していたのも、有名なルーシーが発見されたのもこの地溝帯だ。全くアフリカはあらゆる分野の知性を刺激してやまない。
到着した翌日、早速の朝のサファリに出かける。ドライバーのパトリックは、この辺りで一番の優秀なガイドだ。彼の視力はおそらく6.0だろう。「あの辺りにサイがいる」と指さされて、双眼鏡で見ても何も見えない。しかし10分、ジープでサヴァンナを走るとほんとうにそこにサイがいるのだ。彼のおかげで、なんと最初のサファリで、マサイマラに棲息する動物のほとんどを見てしまった。
また朝4時に起きて、マサイマラでは「老舗」のガヴナーズ・キャンプから飛ぶ、気球によるサファリも楽しんだ。もちろん空見るサヴァンナとその動物は、まるで異なって見えて興味深い。が、ぼくが驚いたのは気球そのものだ。こんなにG=重力を加速を感じさせない乗り物は、気球だけなのではないか?時々轟音を発するバナーにさえ慣れれば、こんなにトリップ感のある乗り物はない。これを発明したフランス人は、合法的にトリップするためだけに気球を作ったのではないか、と考えたくなる。それに着地してからの、サヴァンナの真ん中でのシャンパンと朝食。
別な日には、飛行士をいれて6人乗りの、ラジコンのようなセスナでヴィクトリア湖にも行った。滑走路にヌーやシマウマが闊歩するマサイマラの「飛行場」にも驚いたが、巨大な湖にある島の滑走路はまるでゴルフ場のよう。とても着陸できるようには見えなかったが、多分この道何十年だろう、イギリス人キャプテンは、一度失敗しながらも見事に着陸に成功した。そこからボートでロッジに行く。このロッジのデザインはすごくよい。聞くと、ロッジの経営も任されている、カナダ人のバートとメアリーが自分たちでデザインして改装しているのだという。彼らはここの改装が終わったら、タンザニアかどこかの別なロッジを改装するために移ろうと思う、と言っていた。こうして、自分たちの能力を生かして、アフリカのあっちこっちを移動して生きているのだそうだ。こういう生き方もあるんだなぁ、と妙に関心してしまった。ロッジでの朝食の後、昼までクルージングし、ぼくは3.5kg、9歳の息子は7kgのナイル・パーチを釣り上げた。「次に移ったら連絡するから」と、なごりおしそうに桟橋で手をふるバートを別れて、またセスナでマサイマラに帰る。
近くのマサイの集落の一つを訪れて、彼らの暮らしを目のあたりにしたのも収穫だった。観光客を出迎えるための、決まりきった音楽ではなく、彼らのほんとうの音楽を録音したいという欲求があたまをもたげたので、ロッジのナチュラリストのチェゲさんに頼んで特別にアレンジしてもらった。が、予定のヴィレッジに行ってみると、人が出払っていて今はできないという。ままいいか、アフリカはポレポレだ。ジープで適当に走り、別なヴィレッジを探す。見つけた集落で、ただ一人英語がはなせるパトリックという少年と交渉し、6曲歌って3000ケニア・シリングということになった。5ドルにも満たないが、村にとっては貴重な収入だろう。ぼくは、多分戦争前にこの辺りを訪れ、文化・音楽を採集していたイギリスやドイツの民族音楽学者を気取って録音にとりかかった。
今でも彼らの家は牛糞でかためたもので、女性が作るのだそうだ。家の中は思ったよりも暖かく、匂いは全くしない。これだったら、かなり温度が低くなるサヴァンナの夜もだいじょぶだろう。家は老朽化して傾いたら、別な場所にたてる。完成するのに一週間しかかからない。かつてノマドだった彼らの暮らしぶりが偲ばれる。
またロッジの近くの学校にも訪れる機会があった。夏休み中にも関わらず、何十人かの生徒と何人かの先生がぼくたちを音楽で迎えてくれた。生徒の中にはいくつかの部族の出身者がまじっているが、9割がたマサイ族だという。学校の敷地を見たり、非常に素朴で電気もない校舎を見学したり。驚いたことに彼らの授業内容は、先進国の学校と変わりない。そして授業のほとんどは英語で行われている。まあ、このことに驚くということ自体、ぼくの中にある種の差別が残っている証拠なのかもしれないが。校長からは端的に援助を要請された。ぼくに何ができるか?彼らの望んでいるものは、たんに金なのだろうか?そこの学校関係者の中にジャクソンという青年がいて、会話する中で重要な指摘があった。彼らとしても単なる金の援助を望んでいるだけではない。「施し」は受けたくない、というマサイの伝統もあるのだろう。ジャクソンの提案は理にかなったものだった。ある種の「交換」のシステムを築けないか、というものだった。彼らは「援助」を受けるかわりに、生徒やコミュニティで作った「もの」を出す。これならば、彼らの誇りも保たれる訳だ。ぼくは、「もの」だけではなく、ある種の活動、例えば生徒がゴミを拾い集める、なども交換の対象になるのではないかと思った。今後、よく検討して実施する価値のある提案だ。
マサイマラには確かに動物は多く、ヌーやシマウマはそこら中にいる。しかし一方でクロサイは、現在18歳のメス一頭しかいない。ライオンもチーターもヒョウも、探すのは多少困難だ。いったいこのまま、毎年観光客が訪れ、サヴァンナのどこにでも車を乗り回していたらこの先マサイマラの自然と動物はどうなってしまうのだろう。遠からず何らかの規制が設けられなければならないだろう。しかし、自由にサヴァンナを走り回れなくなったら、観光客は減ってしまう。国の財源の大きな部分を占める観光収入が減ると、ケニヤにとっては痛手だ。自然の保護と観光はいたちごっごなのだ。マサイマラの未来を案じて、ぼくは単純に喜んではいられなかった。
また、マサイの集落を訪れた際、あっちこっちにゴミが投げ捨てられてあるのを見て、心配になった。彼らは伝統的に身の回りの自然の物を使って生きてきた。それらは時間とともに自然に分解されてかえっていったのでよかった。しかし近年は、ナイロビから遠いこのマサイマラにもプラスチック製品やビニール製品が入りこんできている。それらをマサイの人々は昔と同じように使い捨てている。彼らには、それらが自然に分解されない人工物だという観念がない。ましてや環境ホルモンなどの知識もない。あのような廃棄物がこのままたまり続けていくなら、将来大きな問題になることはまちがいがない。時間をかけて、何らかの環境教育をしていく必要があるだろう。その際、単に先進国での教育や対策をここに持ち込むのではなく、理想的にはこの地区から、誰かが先進国へ環境問題を学びに行き、ノウハウをえてこの地区に帰って来、独自の環境に即した対策を伝統の習俗や観念と調和させながら創造していくのがよい。それに対して何らかの援助ができればいいのだが。
ところで、おもしろい話しを聞いた。ライオンはたまに、マサイの財産である牛を襲うことがある。するとマサイの男たちはライオンに徹底的に復讐する。それを知って今ではライオン達はマサイを恐れて、彼らの姿が見えると逃げ出すのだという。ライオンに、遺伝以外に、教育として知識を子孫に授ける能力があるかどうか、定かではないが、おもしろい話しだと思った。また時には、マサイの集落を象の一家が悠々と歩いていくこともある。チーターなども徘徊する。このように、マサイマラでは動物と人間は「共生」している。日本で言われる、「自然に優しい共生」などではなく、ただ同じ土地に一緒に住んでいる。実に即物的なのだ。やられればやりかえす。ヌーたちも、毎日のようにライオンにやられている。しかし、動物の間では、捕食以外のいわゆる「喧嘩」はほとんどないように見うけられた。「自然にやさしい」などという言葉は、とうの自然がなくなってしまった先進国の人間たちが作り出した観念だ。しかし実際に自然がなくなってしまった、ぼくたちの現実もある。そのような言葉で、少しでも自然を崇敬しようと気持ちになってくれるのであれば、あながち全否定もできまい。
人間活動が自然に与える影響は大きい。ここままでは、確実に地球の自然は破壊される。未曾有の自然破壊が、地質学的時間においては、おそろしいほどの短時間で進行しているのだ。果たして人間が自然を破壊しつくした後、人工環境で生きていけるのか?ぼくはできないと思う。われわれがもっている自然に関する知識は、まだおそろしいほど不完全で未熟なものだ。だとすれば、われわれ人間にできることは、現在の20世紀型の活動を、いわゆる持続型あるいは循環型の活動様式に変更していくことだ。それなくしては、確実にわれわれはわれわれの首をしめることになる。まあ、ここまで自然を破壊しているホモ・サピエンスがその結果として絶滅するのは、理屈に合っているとも言えるが、とばっちりをくって絶滅させられた、あるいはさせらている他の種はかなわない。自然の唯一の敵は人間だ。まさに狂ったサルだ。いったいどうしてこんな種が存在してしまったのか?人類学はこの問いに答えてくれるのか?
いつものようにそんなことを考えながらも、ぼくの目にはマサイマラの風景が焼きついているようだ。地平線を見たのなんて、3年前モンゴルに行った時以来だもんな。地平線のかなたからゆっくり近づいてくる暗い雲の中に時折走る閃光。ハントしたばかりのヌーを、バキバキ音をたてながら貪り食べているライオンの一家。夕焼けの空の、信じがたい色彩の変化。空の青さ。マサイの肌の黒。サヴァンナの静けさを破るように飛んでくる甲虫の羽音。アフリカの水を飲んだものは必ずアフリカに戻ってくる、ということわざがあるそうだが、ぼくはこれらの色と音を見、聴くために必ずまたアフリカに戻ってくると確信した。

(SOTOKOTO 2000年11月号より転載)

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© 2001 Ryuichi Sakamoto

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