坂本 龍一 Ryuichi Sakamoto坂本龍一です。10月25日にスタートした「D and Lツアー」の一環として 、11月30日に行われる武道館のライブコンサートを、WIDEその他数多く の企業・組織・人々の協力を得てインターネット上でライブ中継すること になりました。これは衛星を使い、しかも非常にハイエンドの映像と音を 送りとどけるインターネット上の中継としては世界で初めての試みであり、 私のコンサートが現在世界中で進行しているネットワーク革命の一端とし て貢献できることに、非常な喜びと興奮を感じています。
インターネットはまだ誕生期の新しいメディアです。今後10年、100年後 にどのような可能性を私たちにもたらせてくれるか想像もできません。今 回の実験をきっかけに少しでも多くの人々がインターネットに興味をもち、 自分たちの生活や仕事に役立て、インターネットの未来に貢献することに なれば幸いです。
現段階では、ネットワークは様々な人々の奉仕的努力によって支えられて いる部分も大きく、今回のこのM-Boneライブの実験においてもたくさんの 方々の貴重な時間と労力を得て実現するものです。この場をかりてこの実験 に関わっているみなさまにお礼を申し上げます。
日本が世界に誇るミュージシャン。東京芸術大学作曲科在学中からセッション などでプロとしての音楽活動を開始。芸大大学院卒業後、ソロ・アルバムをリ リースしたのを機に細野晴臣のもと、高橋幸広とともにYMOを結成。YMO の活動は世界で注目されることになり、社会現象ともいえるほどの支持を受ける。'83年には大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」への出演と音楽を担当、 ソロとしての活動も好評を得る。同年、YMOが散開してからはますます新た な試みに挑むことになる。
'85年にはつくば博で、コンセプト浅田彰、映像ラジカルTV(原田大三郎+ 庄野晴彦)とともにTV WARを成功させる。
'87年公開のベルナルト・ベルトルッチ監督の「ラスト・エンペラー」でも 出演と音楽を担当。この音楽は翌年、日本人初のアカデミー賞音楽部門受賞へ とつながる。その後は、自身のアルバム制作に加え、世界中の映画監督から 音楽の要請や、マドンナのビデオ・クリップへの出演、バルセロナ・オリン ピック開会式で音楽と指揮を担当するなど、文字どおり世界を舞台に活躍す る数少ない日本人クリエイターのひとり。
'94年は、サッカーのワールドカップ日本誘致のための作品、フォーライフ レコード移籍第一弾となるアルバム「sweet revenge」のリリースとワール ド・ツアー、また、漫才のダウンタウンとのプロジェクト「GEISHA GIRLS」 でお茶の間をわかすなど、日本でも硬軟両面で活躍している。
1952 1月17日東京生まれ 1970 東京芸術大学音楽学部作曲科入学 1976 東京芸術大学院修士課程修了、
「教授」のニックネームで呼ばれる1978 YMO結成
- ファースト・ソロ・アルバム『千のナイフ』
- YMO『イエロー・マジック・オーケストラ』
1979 YMOワールド・ツアー実施
サーカスの「アメリカン・フィーリング」で日本レコード大賞編曲賞受賞1980 YMO国内ツアー「テクノポリス2000−20」
- セカンド・ソロ『B-2 UNIT』
1981
- 『左うでの夢』
1982 忌野清志郎とのジョイントシングル「い・け・な・い・ルージュマジック」 1983 映画「戦場のメリークリスマス」にデビッド・ボウイ、ビートたけしらと出演し、音楽も担当する
YMO散開
- サウンド・トラック『戦場のメリークリスマス』
- 『AVEC PIANO』(戦場のメリークリスマスピアノ版)
1984 出版社「本本堂」設立
- 『音楽図鑑』
1985 トーマス・ドルビーとのコラボレーション『FIELD WORK』
第一回東京音楽祭で自己のドキュメント映画「TOKYO MELODY」(フランス国営放送)上映
筑波科学万博会場で「TV WAR」実施(コンセプト:浅田彰/映像:ラジカルTV=原田大三郎+庄野春彦)
1986 新未来派宣言と共にソロ・コンサート・ツアー「Media Bahn」実施
映画「子猫物語」「オネアミスの翼−王立宇宙軍」音楽担当
- 『未来派野郎』
- 『Media Bahn Live』
1987 ビル・ラズウェルをプロデューサーとしてソロ・アルバム『NEO GEO』発表
「NEO GEOTOUR」を実施
映画「ラストエンペラー」で音楽を担当
- 『NEO GEO』
1988 「ラストエンペラー」の音楽でロサンジェルス映画批評家協会最優秀オリジナル作曲賞、ゴールデン グローブ賞最優秀作曲賞受賞。また、アカデミー賞オリジナル作曲賞を日本人で初めて受賞
東京交響楽団を伴ったコンサート「SAKAMOTO PLAYS SAKAMOTO」実施
- サウンド・トラック『ラスト・エンペラー』
- 『PLAYING THE ORCHESTRA』
1989 「ラスト・エンペラー」サウンド・トラックでグラミー賞映画・テレビ音楽賞を受賞
「Ryuichi Sakamoto with Art Lindsay」をピノ・パラディーノら多彩なゲストを迎えて開催
- 『GRUPPO MUSICALE』
- 『UNDO#1』
1990 「BEAUTY TOUR」を日本、アメリカ、ヨーロッパで実施
ニューヨークにオフィス設立。住居も移し活動の拠点をアメリカに置く
映画「シェルタリング・スカイ」音楽担当
- 『BEAUTY』
1991 「シェルタリング・スカイ」音楽でゴールデン・グローブ賞他受賞
「世界陸上」音楽担当
- 『HEARTBEAT』
- サウンド・トラック『シェルタリング・スカイ』
1992 「HEARTBEAT TOUR」実施
ペドロ・アルモドバール監督作品「ハイヒール」音楽担当
スペインのセビリア万博会場でジャパン・ウィークでコンサート実施
バルセロナ・オリンピック開会式で指揮をとる
オリバー・ストーン・プロデュースのテレビ・ドラマ・シリーズ「WILD PALMS」の音楽を制作
映画「嵐が丘」で音楽を担当
- 『タイナイカイキ2』
- サントラ『嵐が丘』
1993 YMO再生コンサートを東京ドームで2日間実施
映画「リトル・ブッダ」音楽制作
- YMO『TECHNODON』
1994 フォーライフレコード移籍/gutレーベル設立第一弾として『sweet revenge』リリース。
同名のツアーを日本、香港、ヨーロッパ各地で実施
ダウンタウンによるGEISHA-GIRLSをプロデュース
- サントラ『リトル・ブッダ』
- 『sweet revenge』
1995
- 『GEISHA GIRLS SHOW』
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